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大崎水産は勝一の父、大崎信一によって昭和3年に設立された。
ある日、勝一はいつものように工場を見回っていたが、 ふと、かに胡瓜の
製造機の前で 足を止めた。
このかに胡瓜は、かに肉をつめたきゅうりを4本のノズルのまん中に押し込み、
ノズル全体にプラスティックのフィルムを かぶせ、ノズルから魚肉を流して
きゅうりのまわりを魚肉で巻くものだ。
これが一工程おわるたびにノズルの中に残った魚肉が圧力で押し出され、
その魚肉にカニの汁がまざる。
この肉を試食してみるとカニにそっくりの味がした。 |
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「この魚肉をうまく活用すればまったく新しい食品ができる。」
勝一にはひらめくものがあった。さっそくカニ汁のたっぷりまざった
魚肉を取り出し 以前に開発した魚そうめんと同じ要領で試してみた。
すると思った通り味といい、
香りといい、カニそっくりな物が出来上がった。
「これに赤い色をつけてやればカニの足風のかまぼこになり、
高価なカニとほとんど同じ味を安く皆さんに楽しんで頂ける。」
フィッシュスチックへの挑戦がこの時から始まる。
49年、春であった。 |
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大量生産に向けて大量生産を行う為の機械化にあたっては、クリアしなければならない
3つの大きな難関があった。ひとつは、そうめん状の身をどのようにしてくっつけるか。
次に、いかに均等に赤い色を着色するか、そして、どのようにして全て同じ長さに
カットするのか。束ねる・吹き付ける・切るの3つの問題が立ちふさがってきた。
が、この機会開発にも、勝一の経験と独創性に富んだアイデアが生かされた。
試作機に改良をかさね、奇跡的とさえいわれた大量生産の完全自動化をついに
独自の力で完成させたが、ここには大崎水産のノウハウの全てが結集されている。
当時、勝一は作っては壊し、壊しては作るの積み重ねでした。
これではスクラップ工場だなんてよく笑われましたがやっとスチック工場になりました。
とよく冗談まじりに話していた。
時は53年。 当時のひらめきから5年の歳月が流れていた。
やがて、かまぼこ業界の救世主となるこの製品は、当初「カニスチック」と命名されたが、
後に「フィッシュスチック」に改名され、本格的に市場へデビューすることとなる。 |
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「フィッシュスチック」は最初すし屋で話題になった。
高価なカニ寿司とほとんど同じ味を、ずっと安い価格で
味わえるとの評判が次々に飛火。
同時にテレビ・雑誌などのマスコミ関係の取材も殺到し、 勝一と
大崎水産の名はひろく全国へ知れわたることとなる。
そして当時かまぼこ業界は不況のどん底にあえいでいたが、 他社も次々に「フィッシュスチック」の類似品を発売。
かまぼこ業界に久しぶりに活況が戻ってきた。 そこには当然販売競争も
激化し低品質、低価格の類似品を 乱売する 会社が続出。
「大崎水産でも戦略上、高級品だけでなく中級品を販売してはどうか。」
といったアドバイスを何度も受けた。
しかし、現会長・大崎誠一は、 父勝一の精神を受け継ぎ
「自分の納得できない品質の商品は 生産しない、品質を落とすのなら
作らぬほうがましです。」ときっぱり拒否。
品質の大崎水産の伝統を守り抜いたのである。
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その姿勢は海外でも理解され、59年3月には
イギリスのエジンバラフードショーに出展し好評を博した。
次いで、フランス、スイス、スウェーデンの厳しい輸入基準規制をパスし、厚生省より正式輸入許可が降りた。
「より新しく、より美味しいものを、より多くの人に喜んでもらいたい。」
という勝一の夢は、「FISH STICK」となって、
今世界の食卓で愛され はばたいている。
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